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マイクロフルイディクス(マイクロ流体力学)とは何か

 今回は、マイクロ流体力学について紹介します。また、最後にマイクロ流体力学を学習する際にオススメの教科書やYouTubeチャンネルを紹介します。

 マイクロ流体力学 (マイクロフルイディクス、Microfluidics、微小流体力学) とは、マイクロメートル程度の幅を持った流路(マイクロ流路)を流れる流体に関する流体力学です。化学物質や生体試料など少量の流体を扱う際に、マイクロ流路は用いられます。

 マイクロ流体力学でも、通常の流体力学の法則はあてはまります。しかし、流路の大きさ(スケール)の違いによって、流体の流れなどに効いてくる効果に差があります。マイクロ流体力学はマイクロ流路に関する効果がまとめられており、マイクロ流路の設計などの際に体系的な指針とすることができます。

 以下では、簡単にマイクロ流体力学について紹介します。

マイクロ流体力学とは

 マイクロ流体力学は、先に述べたようにマイクロ流路の設計などに用いられます。まずマイクロ流路の用途について述べます。マイクロ流路の特徴は、少量の試料を操作し化学反応や生体試料の観察をおこなうことができることにあります*1。より少ない容量の試料で実験をおこなうことができれば、試料の節約になります。このような流路では、蛍光観察や電気化学的な測定などさまざまな計測を目的とします。このため、計測に直接的に関わるこれらの要素も重要です。しかしマイクロ流体力学は、このような計測方法というよりは、試料を含む流体の制御に主眼をおいています。

 下の図と表で、典型的なマイクロ流路のイメージを示しました。典型的なマイクロ流路は流路の断面の幅や高さが1~1000 μmです。また、流路の長さに関しては特に特徴はありませんが、1 cm以上であることが多いです。一般的に流路の長さのスケールや流速が小さいため、マイクロ流路内のレイノルズ数は小さくなります。このため、マイクロ流路内の流れは、乱れの少ない層流となります。また、流路の大きさが小さいため、表面の大きさに比例する力(表面力)の影響が大きくなります。

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マイクロ流路の特徴

 続いて代表的なマイクロ流体力学における効果について少し詳しく紹介します。

マイクロ流路内は層流

 マイクロ流路内は、流れの乱れが少ない層流となります。これは、流体の流れる速さが低いことや流路のスケールが小さいためにおこります。水道水など、我々の日常的な流体は乱れが生じます。このように乱れた流れを乱流といいます。

 下のYouTube動画は、マイクロ流路での色素を含む溶液が流れる様子を示しています。直感的には、色素は混ざってしまうように思います。しかし、色素は混ざりません。これは、マイクロ流路内では、流れが乱れの少ない層流となるからです。

 マイクロ流路内の流れが層流となることの一般的な数式的な表現を紹介します。層流と乱流の判定は、レイノルズ数と呼ばれる値でおこなわれます。流路の形状などに依存しますが層流と乱流の境となるレイノルズ数は、およそ1000程度*2です。マイクロ流路でのレイノルズ数は、1以下におおよそなります。この値は1000より小さく、このことからマイクロ流路内の流れが層流となることが分かります*3

 ここでマイクロ流路のレイノルズ数が1程度となることを簡単に見積もってみます*4。以下の数式ではレイノルズ数をReと表します。


Re = \frac{\rho U L}{\mu} \
ここで、
\rho は水の密度、 U は流体が移動する速度、 L は流路の代表的な長さ、 \mu は流体の粘性係数 を表す。

SI単位系だとマイクロ流路に関してはおおよそ
\rho = 10^{3},
U = 10^{-3} ,
L =10^{-3},
\mu=10^{-3}

となるので、上の式に代入するとマイクロ流路におけるReはおおよそ1となります。

マイクロ流路では表面力の影響が大きい

 マイクロ流路では、表面力や流路表面の影響が大きくなります。流路表面の影響が大きくなることを利用したものとして電気浸透流があります。流路表面に電圧を印加すると、この表面付近の電荷を有した液体には流れが生じ、この流れを電気浸透流 (electro-osmosis flow) といいます。

 発生させた電気浸透流が、流体の制御に利用されます。比較的、大きな流路では流路表面の影響が小さくなります。このため、直感的には流路表面の電圧を制御しても流体全体の制御は難しいように思えます。しかし、流路がマイクロスケールになると、電気浸透流のような表面近傍から発生させた流れでも、流体全体を制御できるようになります。

 下の動画では、はじめは流体が流路の左右の圧力差に右側へ流れます*5。そこに電圧を印加すると、電気浸透によって左向きの流れへと変化します。

 このように、マイクロ流路では表面の影響が大きくなる様子を以下の表にまとめました。

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マイクロ流路では、物体力に対して表面力の影響が大きくなる


\frac{表面力}{体積力} = \frac{A}{B}\frac{1}{L}
となるので、L*6が小さいほど、表面力の影響は大きくなります。

マイクロ流体力学に関するおすすめの書籍やサイト

 ここまで、マイクロ流体力学に関して紹介してきました。マイクロ流体力学はある程度、基本的な事項は体系的にまとめられている分野です。このため、書籍などをもちいて基本的な点から学習することで、効率よく分野に関する知識を体系的に摂取することができます。そこで、マイクロ流体力学に関連する知識を紹介している書籍やYouTubeチャンネルを紹介します。 

 以下の表に、紹介する書籍やYouTubeチャンネルの関係のイメージを示します。マイクロ流体力学はおおよそ、流体力学と表面に関する事項の二つに分かれています。日本語の文献では残念ながら、マイクロ流体力学全体の教科書はありません。しかし、流体力学と表面に関する日本語の教科書は存在するので、それぞれの教科書をここでは紹介します。

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マイクロ流体力学を学習する際に参考となる書籍やYouTubeチャンネル

予備校のノリで学ぶ大学物理・化学(通称:ヨビノリ)

学べること:流体力学の雰囲気
形式:YouTube

www.youtube.com

 この一連の動画では、YouTubeナビエ・ストークス方程式について紹介しています。ナビエ・ストークス方程式は、水などの流体の運動を表す方程式です。このため、マイクロ流体力学においても中心となる方程式です。
 動画シリーズでは、このナビエ・ストークス方程式方程式を前提として、方程式の各項が表す意味についてイメージを紹介しています。このため、はじめて流体力学を学ぶ前に動画を見ておくと、流体力学に関するイメージが身に付き、流体力学が学びやすくなると思います。

流れのすじがよくわかる流体力学

学べること:流体力学の基礎
形式:書籍

 マイクロ流体力学では、もちろん流体力学の法則が成立します。そのため、流体力学の基本に関して学ぶことは有効です。この本には、流体力学の基本的な項目の多くが広く紹介されています。この中でもナビエ・ストークスの簡単な導出や変形方法は、基本的で非常に役に立ちます。
 ヨビノリのナビエ・ストークス方程式の動画を見て、直感的でもいいので導出方法が気になる方にもオススメです。この本では微分積分の基本や力学の基本を、前提知識としていますが、連続体力学などの知識は不要なので読みやすいです。また、流体力学の入門書としては他に、日本機械学会の教科書のシリーズに含まれているものもあります。

界面の物理と化学

学べること:表面近傍に関する物理的な現象
形式:書籍

 この教科書では表面力に関することを学べます。マイクロ流体力学では、表面力が非常に重要な意味をもちます。このため、表面に関する事項について体系的に学べるこの書籍は、マイクロ流体力学を理解するうえで非常に有用な教科書です。また吸着現象などのマイクロ流体力学には含まれないような、表面に関する現象も体系的に学べます。このような現象に関する知識は、マイクロ流体デバイスを作製する際にはマイクロ流体力学と合わせて必要となってくるものです。マイクロスケールで重要となる物理を知ることができるという意味で、非常に役に立つ書籍だと思います。

Theoretical microfluidics

学べること:マイクロ流体力学の全体
形式:書籍 (pdf)

http://homes.nano.aau.dk/lg/Lab-on-Chip2008_files/HenrikBruus_Microfluidics%20lectures.pdf

 英語の教科書ですが、無料で公開されています。マイクロ流体力学の全体を学ぶことができます。内容としては、大きく分けて二点です。一つ目は、マイクロスケールにおける流体力学です。基本的にはこの内容は、先に紹介した書籍でも学べる内容です。二つ目は、マイクロスケールの流体力学で重要となる電気的な効果です。この効果として、電気浸透流や電気泳動が紹介されています。

Bahga Lab IIT Delhi チャンネル

学べること:マイクロ流体の基本
形式:YouTube

www.youtube.com

 講義形式での英語のYouTube動画です。インド系の方がおこなわれています。内容としては、マイクロ流体力学 (Microfluidics) の全般に関して理論的な説明をしています。様々なトピックを非常に丁寧に説明してあるので、非常にためになります。

分子間力と表面力

学べること:分子レベルの力や表面力
形式:書籍

 小さなスケールで意味を持つ力を紹介した書籍です。教科書ですが表面力に関する項目を俯瞰したり、辞書的な使い方をするのに向いています。純粋に教科書として使用するなら、先に紹介した「界面の物理と化学」などのほうが良いと思います。

流体力学(前編)

学べること:詳しい流体の理論的な扱い
形式:書籍

 この教科書は、流体力学にかんする理論的な内容を詳しく述べています。このため、リファレンス的に用いることができます。内容は大きく二つに分けられます。一つ目は完全流体にかんする理論、二つ目は低レイノルズ数に関する理論です。このうち、二つ目の低レイノルズ数に関する理論は、マイクロ流体力学に非常に関連しています*7
 マイクロ流体力学では、低レイノルズ数の流体を前提とします。このため低レイノルズ数の流体の非常に基礎的な理論は、マイクロ流体力学の理解にある程度必要です。この教科書で紹介されているものとして、ストークス近似の下での球体の流体抵抗(球体のストークス抵抗)があります。マイクロスケールでは、物質の拡散が重要です。拡散係数の計算に用いられるアインシュタイン・ストークスの式には、この球のストークス抵抗が用いられています*8。著者がなくなったため、後編は出版されていません。

 

連続体の力学の基礎
学べること:連続体力学
形式:書籍

 連続体力学は、例えば流体力学や材料力学の基礎的な理解に必要です。そのため、連続体力学を学ぶと流体力学への理解が進むと思います。ただ、マイクロ流体力学の理解を考えると、連続体力学を学ぶことは非常に優先度が低いと思います。

連続体の力学
学べること:連続体力学
形式:書籍

 先に紹介した本と同様に連続体力学について学べます。こちらの書籍は、岩波物理学シリーズの中の一冊です。このシリーズには、流体力学が存在しません。このため、この書籍には流体力学についての内容が、先に紹介した連続体力学の教科書よりも多く含まれています。ただ、先の書籍と同様にこの書籍を学習することの優先度は低いと思います。

追記(2020/11/25)「マイクロ流体分析」

 本屋を歩いていると「マイクロ流体分析(共立出版)」という本を見つけました。この本は、2020年10月28日発売です。
 この本は、マイクロ流体分析の入門書的な位置づけとなります。マイクロ流体分析では、マイクロ流体力学によってサンプル(流体)を扱い、サンプルを分析します。このように、マイクロ流体分析にマイクロ流体力学は大きく関与しています。その中でも、この本ではPDMS製のマイクロ流路の作成や、分析(アッセイ)の具体例が紹介されています。このため、マイクロ流体分析の知識がなくても、その目的や手段のイメージができるようになる思います。
 マイクロ流路を用いたアッセイで課題にぶつかった際には、この記事で紹介している「界面の物理と化学」などの知識があれば解決への道筋をつけやすいと思います。

 

おわりに

 今回は、マイクロ流体力学について紹介しました。マイクロスケールの流体の流れは、乱れの少ない層流となることなどマイクロ流路の特徴を簡単に紹介しました。またマイクロ流体力学はある程度、基本的な事項は体系的に確立された分野です。このため、このような知識をまとめた書籍やYouTube動画を紹介しました。今回の記事がマイクロ流体力学の理解や学習の際の参考にしていただければ幸いです。

cat2tech.hatenablog.jp

cat2tech.hatenablog.jp

*1:近年では、lab on a chip, body on a chip, organ on a chipといった、化学反応や生体内の模倣を小さなチップ上でおこなう試みが盛んです。このような反応や生体内の模倣には、培養液などの流体を用います。そのためチップ内にマイクロ流路を有し流体の操作を必要とすることがあります。マイクロ流路を利用した、このような小型のデバイスのことをマイクロ流体デバイスと呼びます。

*2:層流から乱流へと遷移するレイノルズ数は、流路形状など系に依存します。しかし、1000以下であれば、おおよそ層流の場合が多いですし、マイクロ流路の場合は、レイノルズ数はかなり小さくなります。

*3:レイノルズ数の意味や、導出方法に関しては後で紹介する流体力学の教科書の中にもあります。また、レイノルズ数の導出はwikipedia内でも確認することができます。

*4:SI単位系で計算を行います。

*5:もともと左がわの圧力が高い

*6:代表的な長さのスケール

*7:完全流体に関する理論は、航空機の翼などに関する理論で、マイクロ流体とは関係がありません

*8:拡散係数はアインシュタインの関係式から求めることができます。このアインシュタインの関係式の導出は様々な場所で行われています。例えば、岩波書店から出ている飛田武幸著のブラウン運動があります。このアインシュタインの関係式の中で、物質の流体抵抗(物質の移動度の逆数)としてストークス近似下での球体の流体抵抗を用いたものを、アインシュタイン・ストークスの関係式と呼びます。拡散係数を簡単に計算する際にアインシュタイン・ストークスの関係式は広く用いられます。上のような書籍を参考にすると、アインシュタイン・ストークスの関係式の導出をおこなうことができます。